これまでの歩み

サニーサイドの誕生から現在までの歩みを
代表の多田が綴っています。

恥ずかしがり屋で泣き虫な子ども時代。

僕は恥ずかしがり屋で泣き虫な子どもだった。
両親が土日もなく働く家庭に育ち
社会って怖い、仕事って大変そうだ、と感じていた。
家ではずっとひとりでゲームばかりしていたので
働くことに関心がなく、大人にもなりたくなかった。

だけどなぜか小学5年生のとき、生活委員長に立候補したり、2年生の時点ですら
「ひとりのこらず鉄棒ができるように教えて、丈夫な体にしたい」
という目標を文集に書き残している。
人のことや使命感には燃えるタイプだったのかもしれない。

しかし自分のことだと全くやる気がなく、
近所の高校、そして推薦で行ける大学へと、
無理しなくてもいい進路を選び、大学生になった。

そんなとき、11歳年上の兄が清掃の会社を起業しており
人手が足らず、アルバイトに駆り出された。
清掃の仕事はキツそうだと、友達にもいろいろ言われたけど
バイトもしたことなかった僕は
身近な人や兄弟の「役に立つ」ことにやりがいを感じ 
頼られるとなんだかうれしくて、4年間夢中で働いた。

個性豊かな仲間との出会い。

2000年、就職が厳しかった時代、
年中人手不足のビルメンテナンスの業界へそのまま就職した。

はじめての就職先での上司との出会いは忘れられない。
就職が決まるとすぐに、管理職として100人近いスタッフの
マネジメントを任されることになった。

「責任者として現場へ行ってこい。」
そういってスーパーやショッピングモールへ1人で行かされた。
細かいことは言わず、すべて任された。
働いてくれる人にいかにやりがいや責任感をもってもらえるか。
そうしないと自分が休めなくて、必死で考えた。
就職難だったこともあり、とにかくやるしかなかった。
難しい課題を与えてくれたおかげで、
自分なりの工夫をし、世の中の見え方が変わった。

清掃の現場には個性豊かな仲間がいた。
高齢者、持病のある方、元引きこもりの方など、
何らかの事情を持ち、働く場所が限られている方もいた。
みんなで一緒に現場で働きながら、
多様な人たちを雇用できる清掃って素敵な仕事だな、
社会的な意味や価値があると感じた。面白さに気づいた。

面接をすると、履歴書から人生も見えてくる。そして様々な生き方を聞ける。
このときの経験が自分の人格形成につながり、本当に毎日が充実していた。
ただ掃除するだけでは面白くなかった。
多様な人たちとのコミュニケーションが面白くやりがいがあった。
みんなが活躍できるように環境を整える仕事に打ち込んだ。

人にとって働くとは何だろう。

僕に仕事を教えてくれた上司は、
出会って2年で病気になり亡くなってしまった。
上司は「社会との接点がきれるのは死ぬより怖い。」と言って
誰かのためにと闘病しながら最期まで働き続けた。
その姿から「働く」のことの本当の意味を考えるようになった。
人にとっての仕事の意味を、教えてくれたのはこの上司だった。

高齢でも病気でも働きたい人がいる。
すごいキャリアがあったりお金持ちであっても、
清掃の仕事をし続けている人にも出会った。
みんな社会との接点である仕事に意味を見出している。
人にとって働くとは何だろう、ずっと考え続けていた。

そして、兄の会社に戻ることになった。
ますます役に立ちたいと、責任を感じて仕事に打ち込むのだが
この頃は経営の勉強もして、数字に執着するようになってしまった。
他社が苦手なことを次々と引き受け、7年で売上を7倍にした。
会社は大きくなったが、働くみんなはどんどん暗い顔になっていった。
そして僕自身もやりがいをなくしてしまった。

サニーサイドのはじまり。

悩んだ末に自分で起業しようと決心し、
今も右腕となってくれている名古谷を誘って、
兄の会社で赤字だったホテル清掃の仕事を引き継がせてもらった。

その頃、現場であるレオマワールドが大江戸温泉物語に買収された。
レオマワールドは香川の山奥の僻地にあって
これから稼働率が上がると、働く人を集めるのがむずかしい。

兄の会社のときから障がい者雇用の経験はあり、
元々、いろんな価値観の人たちと働くことを楽しいと感じていた。
働く意志があるのに機会がない人にも、安定して働いてもらいたい。
僕はそのときの大江戸温泉の社長に
障がい者や引きこもりの方の雇用がしたいと直談判をした。
そして「やってみろ。」と認めてもらうことができた。
それがいまのサニーサイドのはじまりだった。
あとで分かったことだが、社長も娘さんが引きこもりで悩んでいたそうだ。

僕が考えた企業理念は「個性が共生し、調和が発展を生む」。
自分が輝くのではなく、互いに暉かせ合う仲間でありたい。
そんな想いから2011年に「サニーサイド」を創業した。

自分たちらしい就労支援。

そこから試行錯誤がはじまった。
NPOサンラインは2011年に設立。
障がいや引きこもりの方を主に支援を行う。
2017年4月に就労継続支援A型事業を開始。
清掃業界が人手不足に陥る中、
仲間で助け合う風土を作ろうとしてきた。

清掃の仕事はあくまで手段のひとつ。
サニーサイドの企業理念を実現するための仕事は他にもあるはず。
ホテル清掃の仕事は、裏方仕事で社会からは見えづらいため
会社と社会との接点をもっと増やしたいと考え
飲食業や農業などいろいろな仕事を模索しはじめた。

そんな中で2017年に「SUNNYDAY HOSTEL」をオープン。
ダイバーシティ、SDGsという言葉すらなかった時代。
共生社会を目指すサニーサイドの想いを伝えるはじまりとなった。

この頃、長年、就労弱者への支援に取り組んできた
ヒトトコの宮武くんと一緒に
サポステ(若者サポートステーション)の運営を引き継ぐために
一般社団法人toki-lineをスタートした。

人だけでなく、地域を暉かせる仕事。

そして2020年、コロナ禍となり
ホテルも観光もこれまでの価値観が変わってしまった。
急に人と距離を取るようにと言われて違和感を感じた。
今こそ豊かな自然の中で人と人が関わり合うことが必要だと考え
クラフトチョコレートとコーヒーの工場&ショップとして
2022年、まんのう町に「SUNNYSIDE FIELDS」をオープンした。
自分たちの想いにふれてもらう接点になり
思い描くよりよい社会を実現する実験の場となる。

なにか地域の課題があれば解決がしたいし
生まれ育ち、ずっと暮らしてきた地元の役に立ちたいとも考えた。
だけど、この場所で活動をはじめて
地域の自然、人にふれればふれるほど
ここには課題なんてなにもない、宝物だらけだと気づいた。
ないものを探して足すのではなく、
見方を変えて、今あるものを磨いてもっと輝かせること。
幸せはもうすでにすぐそばにある。
僕たちはすごく恵まれて生きていると実感できた。

2024年には、まんのう町で愛され続けているカフェテラス峠を
みんなの居場所を守りたいとの想いから事業承継した。
2025年、高松市に新たに建設されたアリーナ内にて
瀬戸内海の目の前にあるフィールズカフェの運営を引き受けた。
どちらも大切な風景を守り、みんなで分かち合うための実験である。

いま、僕らが取り組んでいるのは、人だけでなく、地域を暉かせる仕事。
地域の宝、風景を活かし、大切なものを守り続けたい。 
その営みが忘れられない原風景を作ると信じている。