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SUNNYSIDE STORY

こどものときには言えなかった。

2019.01.06

こどものころは楽しかったよ、
そういう言い方もできる。
とても多くの時間は、
楽しくしていられたようにも思う。



数えあげれば、きりもないほど、
楽しかった思い出を、
ここに並べることもできる。
ぴかぴかにしてたり、にこにこしてたり、
みそっ歯で笑ってるような思い出は、
安っぽくて平凡だったかもしれないけれど、
ぼくと、ぼくのともだちが、
全力でつくったものだ。


だけれど、思い出さないようにしていても、
忘れてはいけないことがある。
こどものころは、つらかったよ。
こどものころって、悲しかったよ。
大人の機嫌しだいで、
その日その日の、こどもの幸福が決まるんだ。
逃げ出そうと思ったって、
どこにも逃げる場所なんかないし、
そんな方法をおぼえるのは、
おとなになってからのことだった。


なにもできない悲しさを、ぼくは忘れてない。
おとなたちのけんかを止められない。


おとなたちのでたらめに、さからえない。
勝手にしろと言われたって、
勝手になんかできない。
あかんぼうのころから、
少しずつ大きくなっても、
大きな無力のつなにつながれていた。
言い負かされたり、転がされたりしながら、
かわいがられていた。


こどものころは楽しかったよ、
そういう言い方もできる。
そんなふうに思い出を加工することも、
おとなになったぼくは、
いくらでもできる。


だけれども、すこしも忘れちゃいない。
こどものころは、つらかったよ。
こどものころは、悲しかったよ。
なにひとつ安心してられなかったし、
なんにもできないまま、
おとなにいわれたとおりの場所で、
なるべく明るいことを考えていた。


おとなになるのは、こわかったけれど、
こどものままでいるよりは、ずっとましだった。
おとなになって、ほんとによかった。
もっと早く、おとなにしてもらえればよかった。
でも、それはそれで、さみしいことなんだろうな。

糸井重里

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