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SUNNYSIDE STORY

プライドの場所

2018.08.10

「ほぼ日」さんのサイトより

***

「もっと激しくじぶんの意見をぶつけ合ってさ、
けんかするくらいに論議しあえよ。
いや、取っ組み合いのけんかをしてみろよ、むしろ!」
というような喝を、くださる方がよくいました。
いや、いまもきっといるんでしょう。
それも一理あるのかもしれません。
とはいっても、百分の一理くらいだと思うけど。

強く揺るがない意見を持つことは、大事でしょう。
確信があるところまで練り上げられているとしたら、
それは聞くに値するものでしょうし、
他の「ぽっと出の意見」なんてものはねキミぃ、
ぶっつぶしてやりたくなるものなのでしょうね。
だけど、問題は、そういうことじゃないっす。
そんなに強引に無敵にふるまえるほど、
すばらしいご意見なのかな?ということです。
たいてい頑なに強く主張される意見というのは、
身のないものなのであります、あたしの経験上ね。

だからということじゃないのですが、
ぼく自身も、「ほぼ日」の人たちも、
傍目にはややもの足りなく映るほど、おだやかです。
激しい言い合いなんかを、ぜんぜんしてません。
やる気がないのか、主張できるほどの意見がないのか、
そう思われてもしょうがないというくらい、そうです。

だいたい、論争、ぶつかり合い、戦い、けんか、
ディベートみたいなものには、その内容と関係なく、
上役下役、争われる土俵による有利不利、強気な性格、
弱点を突いたりも含めてのけんかのテクニック、
やり口が重要になったりしていると思うのです。
だから、あんまりやりたくないんです、仕事の場面でも。

では、意見の激しいぶつかり合いがない分、なにがある?
「質問と答え→そしていっしょに考える」があります。
「じぶんの考えではここが理解できない」であるとか、
「もし、こういう場合はどうするのか」だとか、
同じ目的を持つなかまとして質問するだけでいいのです。
そこから、気づくこともあるし協力体制にもなります。
対戦じゃなく、共にいい方に向かいたいのですからね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
感情だとかプライドの大事な場所は、もっと他にあります。

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