プレイヤー不足
2018.09.12
四国学院大学で得たものは「多様性」の素晴らしさ。
ダイバーシティなんて言葉すら聞かなかった20年前に、僕は年齢も国籍も宗教も障害も関係ない、とてもフラットな世界を知りました。
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「朱に交われば朱に染まる」という言葉があります。
近いところの人間同士は影響しあい、段々染まりあい、最終的に親近感を抱くということです。
人間は似たもの同士があつまり、時間を共に楽しもうとするのは本能だと思います。
これが連帯感を生むのもわかりますが、それも行き過ぎると偏見や差別につながります。
「仕方ないよね」で放置していては、これから10年後の社会は機能しないと思います。
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こんなことを考えていたとき、この問題のキーは「距離」だとわかりました。
例えば学校では、勉強や運動が「出来る人」と「できない人」とはクラスを分けられます。
障害の有無では学校(場所)すら分けられます。
分断された世界で、お互いのことを理解することは果たして可能なのか?
普段の暮らしの中で顔を合わせたり、知りあったりすることでこそ、僕たちはお互いの違いを乗り越え受け入れられるようになるのではないのか。
そして、行きついたのが今の形。
頭でいろいろ考えても、実際に実行するプレイヤーにならないと意味がないと思うし、やらない理由を考える時間がもったいない。
「やらぬ善よりやる偽善」
完璧な正解なんかないんだから、失敗してもいい、とにもかくにもチャレンジします。
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