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SUNNYSIDE STORY

自然の美しさに囲まれ生きる

2018.12.05

僕らの職場は山の中にあります。ほんとに田舎だけど、とても美しい自然に囲まれて仕事が出来ることに感謝してます。

美しさを感じ、それにふれて、僕らもきっと美しくなる。

 

ぼくは、こどものころに小児喘息だったのですが、
成長して体力がついてくると、それは治っていました。
ところが、働き盛りの三十代になってから、
いろんなストレスのせいもあったのでしょう、
風邪をこじらせて咳がひどくなったなと思っていたら、
はっきり喘息の診断を受けるようになっていました。
喘息も含めて、アレルギーというのは、
免疫がうまくいかなくなっているという病いです。

人の身体は、自己と、自己でないものを区別しています。
バイキンが体内に入ってきたら、
これは自己じゃない異物だと判断して、やっつけます。
なにが異物で、なにが自己なのかがわからないと、
身体に悪いことをする病原菌をのさばらせたりして、
命を縮めてしまうことにもなりますが、
逆に、敵とも言えないものを「こいつは異物だ!」と
厳密に判断するようになってしまうと、大変です。
過剰な攻撃がひっきりなしに続いて、
身体のなかが戦場化してしまい、痛い戦禍が残ります。
空気中にふわふわしているダニの死骸だとかは、
もちろん異物にはちがいないのですが、
ふつうの人は「寛容」にお目こぼしして見逃してます。
しかし、アレルギーの人の場合は
「ダニ、コノヤロ!コノヤロ!」と爆弾を破裂させて、
辺りを火の海にしてでもやっつけてしまいます。
喘息も、こういう病気なんですね。
こういうことは、じぶんなりの脚色はしていますが、
多田富雄先生の『免疫の意味論』という本で知りました。

健康な人は、「寛容」を生きる日々に組み入れてる。
自己にとって「まぁ、いいじゃないの」の異物と、
「こいつは困るぞ、戦う!」の異物と、両方があって、
それをうまいこと使い分けて生きているんですよね。

人体ばかりでなく、人間というもの、そういうものです。
このごろの時代の、ものすごい息苦しさは、
アレルギーの症状に、ずいぶん似ている気がします。
「寛容」とか「包容力」みたいなものが、
人が生きるのに大事な要素だと認められてないことに、
原因があるんじゃないかと、ぼくには思えるんですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
寛容はおまけの加点じゃなく、生きるに必要な力だと思う。

糸井重里<ほぼ日>より

 

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