こどものときには言えなかった。
こどものころは楽しかったよ、
そういう言い方もできる。
とても多くの時間は、
楽しくしていられたようにも思う。
数えあげれば、きりもないほど、
楽しかった思い出を、
ここに並べることもできる。
ぴかぴかにしてたり、にこにこしてたり、
みそっ歯で笑ってるような思い出は、
安っぽくて平凡だったかもしれないけれど、
ぼくと、ぼくのともだちが、
全力でつくったものだ。
だけれど、思い出さないようにしていても、
忘れてはいけないことがある。
こどものころは、つらかったよ。
こどものころって、悲しかったよ。
大人の機嫌しだいで、
その日その日の、こどもの幸福が決まるんだ。
逃げ出そうと思ったって、
どこにも逃げる場所なんかないし、
そんな方法をおぼえるのは、
おとなになってからのことだった。
なにもできない悲しさを、ぼくは忘れてない。
おとなたちのけんかを止められない。
おとなたちのでたらめに、さからえない。
勝手にしろと言われたって、
勝手になんかできない。
あかんぼうのころから、
少しずつ大きくなっても、
大きな無力のつなにつながれていた。
言い負かされたり、転がされたりしながら、
かわいがられていた。
こどものころは楽しかったよ、
そういう言い方もできる。
そんなふうに思い出を加工することも、
おとなになったぼくは、
いくらでもできる。
だけれども、すこしも忘れちゃいない。
こどものころは、つらかったよ。
こどものころは、悲しかったよ。
なにひとつ安心してられなかったし、
なんにもできないまま、
おとなにいわれたとおりの場所で、
なるべく明るいことを考えていた。
おとなになるのは、こわかったけれど、
こどものままでいるよりは、ずっとましだった。
おとなになって、ほんとによかった。
もっと早く、おとなにしてもらえればよかった。
でも、それはそれで、さみしいことなんだろうな。
糸井重里
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