自他一如
2017.05.26
2月に東京ミッドタウンの虎やさんで暖簾の写真を撮らせてもらった。
今回ホステルの正面には是非、ここの暖簾を付けたいというデザイナーさんとの思いを共有するために、実物を見に来た。
写真でもみてわかる通り、この暖簾は向こう側が透けて見える。
生地が麻と綿とで織られているかららしく、本来の暖簾はこういったものらしい。
けれど、一般的に市販されているものは、綿を機械で高密度に織られていて、向こう側(内側)が見えないのである。
そんな機械による大量生産品が溢れ、この織りが出来るところはもう日本で一社しかないらしい。
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内側(自己)と外側(他者)の境界線を曖昧にするという、この寛容さに基づく和の考え方。
暖簾のことだけに限らず、今の社会では全然見受けることが無くなったなと感じる。
ここ10数年で妙なカテゴリーが増えたな思う。
なかば境界線だらけだ。
分けることですっきりするかもしれないけれど、それが正解とは全然思わない。
分けることに慣れ切った人間は、いつの間にか分けられる側の人間になっている。
すべてのものは関係しあって存在している
過ぎたるは及ばざるより悪し。
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そういえば、朝スタッフの一人が言っていた。
「最近の子供たちは友達の家に上がり込んで遊ぶことがないらしいんですよ」
友達の家に行って遊ぶことがないなんて、僕ら世代では信じられない。
全国的かどうかはわからないが、そのスタッフの子供の学校ではそうらしい。
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