ラブリー
先日、小沢健二が19年ぶりにシングルをリリースしたとヤフーニュースにあり、少しばかり気持ちが高ぶった。
僕の高校生時代は結構流行っていて、周りのおしゃれ女子は、あの天性の無邪気な感じと自然体のかっこよさに、『王子』と言って褒め称えてた。
しかも、家族は才能のある人ばかりでお金持ち、本人は東大卒、本当に花に囲まれて生まれ育ったような人なのに、少しアウトロー。
同性の僕からしたら賢くて、かっこよい鼻持ちならない奴。
翻って、その頃の僕といえば家庭環境がすこぶる悪く、毎晩両親の罵倒と殴りあいに耐えきれず(よく事件にならなかったものだ。)、部屋を締め切りドン底のような音楽を聞きまくっていた頃。
ちなみに、僕の家は僕が生まれる前はとても貧乏で、今の兄との間に二人の男子がいたが、貧乏が原因で亡くなったらしい。
だから、両親は貧乏を憎み、朝から晩まで働いて家にお金を入れてた。
仕事のために忙しく、僕は生まれてすぐに保育所に入れられる。
学校行事にはほとんど来なかった。
だから、僕は親と遊んだ記憶がほとんど無く、お金だけ与えられゲームばかりしていた。
学校が休みの時は、生保の営業をしていた母親の車の中でゲームをして待っていた。
ご飯はほとんど食べなかったというか、正直食べる気がしなかった。
確かにバブル景気のおかげと両親が一生懸命に働いてお金は出来た。
では、お金が出来て幸せになったかといえば、今度はお金の使い方が原因で家族は泥沼にはまる。
お金でしあわせは買えないものだと思ったのもその頃。
よい学校行って、良い企業や公務員になって、いい給料をもらうことが、当たり前に幸せだといわれてたけど、そんな理屈はどうも信用できなかった。
そんなアングラな人生の僕でも、なぜか小沢健二(オザケン)の歌だけは好きだった。
昔のブルータスによしもとばななさんが小沢健二のことをこう書いてた。
『彼の歌の世界にあるあまりにも美しくハイで甘い風景や感情をきれいごとだと思う人きっとたくさんいるだろう。
でもそうではないんだと思う。
それは祈りであり、雑多なものに囲まれ濁りに満ちた人生の時間の中にちらっと輝く小さななにかなのだ。
それをすくいあげて、磨きこんで、美しいメロディに乗せて
『おとぎばなしじゃない、確かにこれはあるんだ、小さいし見つけにくいかもしれないけれど、いつもすぐそばに、存在しているんだ』
と教えてくれている気がする。
確かにそうだ。
きっとあの頃の僕も、あの歌の世界観にどこかで憧れてて、救われていたんだと思う。
何もかも悪いことばかりじゃない、良いところに目を向けよう、すべて心のとらえよう、気のもちようだ。
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今は、おかげさまで両親とはよく話すが、
『お前は貧乏しらないからしあわせだ』とよく言われます。
気を使って、『ホントにそうね、感謝してます』といいますが、
本当は、『お金はあったけど、それで僕はしあわせではなかったよ。一人寂しかったけど、そのおかげで誰かをさみしくさせないようにしよう、困ってる人にやさしくしようとする心と、苦労を乗り越える精神を身につけることができて今がある。だからしあわせだ、感謝してます。』と言いたいな。
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僕は悲しいから
哀しいになり
寂しいになり
いつか優しいになり
そして美しいになる
(野島伸司)
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