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SUNNYSIDE STORY

あなたがいてわたしがいる

2018.08.09

最近、色んなアートに興味を持つようになりました。

感覚的で申し訳ないのですが、仕事とアートはとても密接に関係がある気がしてるから。

(いつか上手く整理できれば書きます)

そんななか、いちばん気になるのが、

「余白」

この余白というものの重要性を考えます。

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というのは、昨年サニーデイホステルをオープンさせました。

当然、めちゃくちゃ小さなホステルですし、エレベーターもないし、快適な設備なんてひとつもない。

2階と3階は、共有のバスとトイレだし、、

必ず初対面の人たち(しかも国も性別も宗教も違う)と、譲り合いながらの時間を過ごすことになる。

様々な面で、東京とかにあるデザインホテルや有名旅館のように至れり尽くせりなことなんかない。

まるっきり足りないものだらけなのに、何故こんなに評価が高いのかな?

なーんてことを考えると、どうも満足度ってやつは、満ち足りすぎてはいけない。

不足の中にこそ人間同士の愛があって。それも満足度に関係するんじゃないか?

ってことに思いが至りました。

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昔、博多で第三何とか丸(名前を忘れた)という居酒屋さんに行った時、お客さんがテーブルに並んだ焼酎を店員さんの代わりに、自分で注いでは飲んで、いくら飲んだかは後で自己申告の店があった。

それで繁盛してたし、大将もお客さんもたのしそう。

ズルをする人なんていないし、結果その方がいいんだろうから、そのシステムなんだろう。

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田舎には道端に野菜がポツリ置いて、「家で丁寧に作った無農薬野菜です。お代はこちら↓」みたいな無人店舗がある。

お昼間仕事に出ているのか?孫の面倒をみてるのかしら?

折角作っても、きっとお野菜を売りに行く時間もたりないんだろうなって思ちゃう。

その無人のお店は昔からずーっとある。

潰れる気配はないし、お金もちゃんと入ってるし、そのお金も盗まれない。

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お客さんがそのお店に参加できたり共感できる、良い意味での「隙」、ぬけ感というものをつくってるなぁと感心するの。

そしてまずこちらから相手を完全に信用するところから始めている。

それも絵でいうところの「余白」だということに思いが至る。

絵の持つ余白は、観る側に想像することを求める。観る側が背景だったりのシチュエーションを自由にそのときの気持ちで想像して、その絵は完成すると思う。

つまり、まずお客さんを信じきっている、そこにお客さんの想像力が合わさって、自分の作品が完成する。

そんな「こと」や「もの」をつくれないかと考えてるわけです。

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サニーサイドのホームページを刷新するとき、太陽のロゴとともに「輝くちから」とだけいれました。

そこに何をどう感じるかってことは皆さんにお任せしたかったから。

きっと僕が思うこととは違うだろうし、それは違ってて当然だし、むしろ違ってることはすごくステキなことだと思う。

その違いを集めて楽しみ、もっと素敵な会社をつくりたいと考えてます。

 

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